幽玄なるかな淫靡なるかな剛毅なるかな


by reddragon_samael

カテゴリ:読切のたわ言( 4 )

新病

医者は難しそうな顔でこちらを見ていた。

僕もまた、できもしない分数の暗算でも舞台上でやらされているかのように、何とも言いがたい手持ち無沙汰の状態で医者のほうを見ていた。

さらに言えば、看護婦の視線は興味がなさそうな様子で手にもっている診断書と医者を交互に行き来していた。

症状は極めて簡単だった。
何かがおかしい。

それがわからないから、何がおかしいのかを医者に聞きにきたわけだ。
すると医者はどうしましたかと問う。

僕は中空の一点を見つめ、そこの空間にあるはずの真空から生まれては消えるエネルギーについて、ふと思いを馳せてから、青白い医者の顔を覗き込む。

そして吐き気を催していることを知った。

医者に行ったとき、いつも説明する言葉を知らない子供の気持ちを再確認する。

ある日、自分が正体不明の奇病に罹ったことを知った。アジア旅行から帰ってきたことが原因だとも思えなかった。僕がとりあえず医者に来たのは、不安のあまり、病気だ病気だと連呼する息子を見かねて、親が医者に行けと軽々しく言ったことが原因だった。今となっては、もともとどうであったかなどという話はどうでもいい。
病院に行くのは嫌いなほうだった。誰かと比較したわけではないが、十人人間がいれば、その中で三番にランクインするくらいに嫌いだった。それは、この手持ち無沙汰が耐え切れないからだった。

「何かがおかしいんですよ」
「体のどこかが痛むとか?」
「痛みはありません。いや、痛みめいたものはあります」
この痛みめいたものとは何か。

「どのあたりが?」
「いわば全身なのですが、どこかに特定しろと言われれば、特定されたどこかが常に痛みめいたものを抱えているように思えます」

「神経的なものでしょうか」
「そうかもしれません。僕には腕が見えているもの以外にもあと何本もあるんですよ。そしてその目に見えない腕すら痛むのです」
「幻肢……」
「今、確かに腕と言いましたが、それは腕ではなく、延長と言ったほうがいいですね。なぜなら足にもあり、頭にもあり、指にもあり、存在しない何かが痛み、訴えるように何かを叫んでいるからです」
眼鏡の奥の医者の瞳がせわしく瞬きをしてわずかに揺れた。

「今も耐えられないほどに痛いと?」
「先生、幻覚、幻聴だと思ってますよね。スキゾフレニアだと」
「痛み止めが必要かもしれません。痛みを感じているのは脳ですから。様子を見てみる必要はありますが」
これを誰かの痛みだと僕は思っていた。自分の体が人の痛みを受け付けるようになったのだと。

僕の思っていることは正しく、そして間違っていた。

三日後、僕は交差点に無茶に進入してきたタクシーに轢かれて死んだ。

しかし、死後の世界というのはそれほど代わり映えしないものだった。
相変わらずあの世には行けないし、見知ったこの世が活動拠点なのだから。

数日前の自分にとり憑いた自分が、全身に感じるべき痛みを感じないままで、どこか痛そうにしている自分を眺めるのは、そう面白い光景ではない。

ただ、僕はまだ別の痛みを感じていることに気づいた。

本当の体は、一体どれなのか。いや、体などどこにもなく、ただあるのは、幻肢にしか過ぎず、痛みも得体の知れないどこかからやってくるのかもしれない。

死んでなお、まだ何度でも未来から。

よくできた世の中だ。
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by reddragon_samael | 2010-11-02 05:33 | 読切のたわ言

深夜のエージェント

彼はまれに深夜の街に出没する。

ぴかぴかの黒い鞄を持ち、隅々まで磨かれた黒い皮靴を履いている。
深夜に似合わず、いつもネクタイをしっかり締め、アイロンのかかったスーツを着こなしている。
顔はしかめ面で、特徴的な円い眼鏡をかけている。

街の人が見かけたときには、いつもしかめ面で、何かを探すようなそぶりをしている。
その様子から、彼はエージェントだと思われていた。
どこかの後ろ暗い組織の、風俗店の客引きの女が言うには麻薬組織の、構成員で、売人と交渉をしているというのが、もっとも多い意見である。
誰が初めに呼んだのかはわからないが、いつのまにかスミスという仇名が、若い連中によってつけられていた。
彼のかたそうな鞄は、ダイナマイトが入っているとか、札束が入っているとか、偽札の原版が入っているとか、暇人たちのあらゆる想像をかきたてた。

彼は街に現れ、いつもの鞄を手に靴音をカツカツと鳴らして颯爽と歩いた。
相変わらず眉間に皺を寄せ、明かりの少なくなってあちこちでシャッターが下りてしまっている駅前の通りを見渡した。

電光掲示板が今日のニュースを告げている。
「8歳の女児が行方不明。16歳の若者が父親を撲殺。波にさらわれ、大学生が行方不明・・・・・・」

深夜にやっているのは、小さいコンビニエンスストアと、これまた小さいパブと、いかがわしいホテル、電車を逃したまだ青臭い酔っ払いどもが屯する騒がしいカラオケ屋だけだった。

彼はパブの入り口をくぐり、自慢の鞄を足元に置き、カウンターに座った。

コケティッシュな笑顔を振り撒いている若い女が舌足らずな言葉で注文をとる。

スミスは、ミネラルウォーターと小さな声でつぶやく。

女は明らかに落胆した様子で注文を確認し、足早にスミスの元を去っていった。

スミスは、誰かを探すように店の中を見回していた。

店の中には、特徴的な人物が集まっている。

街の老人会の会長候補であるマールと、小さな農場を経営しているハドソンが、隅で大きな馬鹿笑いをして周囲から白い目で見られている。
高校の先生をしている小太りのメンデルが正面の水商売風の女を無視して、酔っ払ったあまりいびきをかいてテーブルに突っ伏している。
駅前の銀行の警備をしているヤングが、仕事の途中の息抜きに警備員の制服のまま、黒ビールを恐ろしい勢いで飲み干している。
近所に住んでいる証券会社の社員であるジョーイもその同僚と、流行の株と三ヶ月後の相場の値動きについて、ろれつの回らない舌で、激論を戦わせている。
エトセトラ、エトセトラ・・・・・・。

ほとんどが常連でスミスと交渉しそうな人物はごく限られていた。

しかも、今日はマナーの悪い警察連中が大声で騒いでいた。彼らはスミスのことは聞いていたが、彼がやってきたことにはまったく気づいていなかった。

一通り店の様子を窺ってから、スミスは勢いよくミネラルウォーターを飲み干し、紙幣を一枚置いて、席を立った。

店員の女が気づいたときには、すでに彼の姿はなかった。

彼は人も閑散としてきた駅の前をぐるぐる行き来し、やがてカラオケ店に入った。

この国ではカラオケが流行していて、ここ数年のうちに恐ろしい数乱立した。

店長は彼が来たことに気づき、何度か店員を部屋の方に行かせた。
しかし、交渉相手が現れるというような変わったことはなく、スミスはひたすらにマイクを手にロック調の曲を熱唱しているだけだった。

スミスは朝が来ると、部屋から出てきて、カラオケ代を払った。
そのとき、絶望的な様子で自らの財布の中を覗いていたという。
店長はその様子にただならぬ事件性を感じたという。

そして、朝一番の電車に乗って、スミスは街を去っていった。

若者たちはこの話を聞いて、組織から逃亡しているだの、女に組織の金をつぎ込んだだの、なんだかんだと大騒ぎした。

だが、都会の会社に勤めるデレクは、若者の噂を聞いて一笑に付した。

「あいつは普通の会社員だぜ。
ちょうどあの日は前日に泊まりがけで仕事をこなしていたよ。
翌日に、また乗り過ごしたとかなんとか言ってたぜ。
鞄と靴にお金をかけすぎるせいで、あいつはいつも手持ちがないんだよ。
ホテルに泊まる金がなかったらしいぜ」

そう語るデレクはやや自慢げだったという。
ちなみにその間抜け会社員は、スミスとかいう名前ではなく、モゴラーニャというのだそうだ。
スミスことモゴラーニャはこう言った。
「一人のカラオケは初めてだったけど、悪くなかったよ」
そんなわけで、スミスはまたも若い連中に話題を提供してしまったのである。
今ではすっかりただの間抜けの話として、スミスのことは若者の話題に上るようになったのだった。

しかし、その鞄の中に入っているものは未だ誰も知らない。
紅く染まった小さな手が蠢いている・・・・・・
「ママ」
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by reddragon_samael | 2006-08-06 07:00 | 読切のたわ言

一昨日のハイテンション

おれは無敵王・飯山満。

おれが電車に乗り込んだときの話を聞いてくれ。

おれが電車に乗ったとき、どこかから音楽の重低音が漏れて聞こえていたんだ。

それでおれは周りにいる奴ら片っ端から、ヘッドフォンを引っぺがしてやったのさ。

そうなんだよ、どいつもこいつもヘッドフォンをしてやがるのさ。

けど、どうだい。重低音ははがしたどのヘッドフォンからも漏れてなかったんだよ。

ガッデム! まったくどいつもこいつも紛らわしいだけの囮野郎だったってえわけだ。

それでおれは散々罵られ、殴られたよ。

でも、おれはめげなかった。

周りはおれにヘッドフォンを奪われまいと、警戒しはじめるんだ。

おれがにじり寄ると、あいつらは下がり、おれが下がると、あいつらが前進する、っての繰り返し。

その間に電車は進んで、囮軍団は減っていったさ。

そして、終点の一歩手前まで来たとき、おれは確信した。

てめえが犯人か、オンナァ!

で、あいつらにやってやったみたいにヘッドフォンをひっぺがしたのさ。

すると、おれは驚いたね。なんとそいつでもなかったんだよ。

んでもって、電車は終点に着いて、

「終点、浦和、浦和」

とかなんとか抜かしてやがる。

どうなってんだ、と思ったら、あいつだよ。

車掌がヘッドフォンをつけながらムダに鼻歌を歌いながら、オレの横を通り過ぎていったんだ。

ああ、そりゃあ、重低音もばっちりだったな。

まったくマジかよ、って心の底から思ったよ。

飯山満も一本とられたね。
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by reddragon_samael | 2005-11-09 19:17 | 読切のたわ言

昨日のサスペンス

昨日のオレは急いでいた。
何せ、時計の針はすでに夜中の12時を回り、最終電車の発車時刻が刻々と迫っていたのだ。

電車がホームにすべりこんでくる。あれだ。どうにか間に合った。

疲れた身体に鞭打って、オレは混みあう車内に駆け込んだ。
ホームのアナウンスが、この電車が最終電車であることを告げていた。

しかし、オレの心に平安は訪れなかった。

どこからともなく一定のリズムで爆音が響いていたのだった。

これはいわゆる一つの、音漏れと呼ばれる現象だった。

無警戒にヘッドフォン・ステレオの音量を大きくしたばかりに、無意識のうちに周囲の人間に損害を振りまく、ありがちなはた迷惑の一つだ。

一種の習慣でオレは犯人探しを始めた。
音漏れをさせる人間というのは、皆自分は無実で何ら周りとは関係ないという、涼しい顔をしているので、その犯人探したるや、一級のどんでん返しが待っている一大エンタテインメントだと言えるだろう。

だが、その日はちょっとばかり、事情が違っていた。

まず右隣の若い男が、ヘッドフォンをしていた。

オレは、こいつが犯人か、と思う。

しかし、左隣の中年のサラリーマンもまた、ヘッドフォンをしていた。

いや、音はこっちの方から聞こえてはいない。

首を無理やり後ろに向けると、後ろのやり手そうなサラリーマンもヘッドフォンをしている。

間違いない、こいつだ。

「すいません」

男は不思議そうな顔でこちらを見て、ヘッドフォンを外すが、音はそこからはきこえてこなかった。

オレは驚くべき事実に気づき、素直に謝るしかなかった。

やり手サラリーマンの後ろのおばさん、その後ろの不良学生風の男、そのまた後ろのOL、揃いも揃ってヘッドフォンをしていたのだ。

むしろ、この混みあった車内でヘッドフォンをしていない人間は誰一人としていなかった。

電車が駅に着くたびに、ヘッドフォンをした人間が次々と降りていくものの、爆音がやむ様子はない。

オレは目の前の若い大学生風の女に声をかけた。

「すいません」

しかし、彼女ではなかった。彼女はこちらを気にしながら次の駅で降りていったのだ。

当然、まだ爆音中である。そんなバカな。

最後に残ったくたびれたサラリーマンに声をかけると、ヘッドフォンをとったくたびれ男は突然、怒声を上げた。

「何なんだね、君は!」

マジで? ただ謝るしかなかった。彼も犯人ではなかったのだ。

打ちひしがれたオレは、電車が終点に着いたのを知った。

まだ爆音は響いていた。そして爆音とともに車内アナウンスが聞こえる。

「終点、浦和、浦和です」
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by reddragon_samael | 2005-11-08 14:34 | 読切のたわ言